2023年08月28日

大窪寺からの遍路道!

大窪寺からの遍路道は、
澄禅の『四国遍路日記』(承応二年1653)に
「寺(大窪寺)ヲ立テ谷河ニ付テ下ル、
山中ノ細道ニテ殊ニ谷底ナレバ
闇夜ニ迷フ様也。タドリタドリテ
一里斗往テ長野ト云所ニ至ル、
爰迄讃岐ノ分也。」とあり、
遍路道は山中の川沿いの細道で、
薄暗いところであったことがわかります。

今も同様で、江戸時代から変わっていません。



最近は周囲の田んぼもしていないのか、
草はのび放題になっています。

遍路道の草を分けていくと、
沢水が流れる所があり、
昔は木橋がかかっていたのですが、
それを越える広さに崩れ、渡りにくくなっています。
また、木橋は滑りやすくなっています。



これを越えるとあまり手入れされていない遍路道となり、
10丁目付近が東かがわ市との境になります。



「四国のみち」になっていますが、
だれも手入れをしなければ、こんな風になってしまう。

これが現状です。


  


Posted by へんろ資料館館長 at 06:42Comments(0)