2023年12月30日
へんろ資料館、年末・年始の休館に入ります。
今日で、へんろ資料館は休館に入ります。
休館と言っても、12月31日(日)、1月1日(月)の
2日間で、1月2日(火)からは、同じように開館します。

今年も色々な方に助けられ、
ここまでやってきました。
本当にありがとうございました。
その甲斐あって、来館者・おへんろさんも
コロナ禍前の状態に戻りつつあります。
来年は4年に一回の逆打ちの年、
さーてどのくらい、お遍路さんが増加するのか。
年末年始ののお遍路さんの対応ですが、
遍路大使任命書の発行は行います。
ただし、閉館なので、玄関前に
歩き・自転車お遍路さんの申込み用紙を置きます。



申込み用紙に記入し、左上の赤いポストに
入れてくれれば、後で郵送するという
やり方を取っています。
毎年、1~2人の方が申込み用紙に記入していきます。
今年も、慌しく過ぎ、充実していたと思います。
来年も同じように充実した年になるよう、
交流の場となるよう、
皆さんの御協力をお願いします。
来年もよろしくお願いします。
休館と言っても、12月31日(日)、1月1日(月)の
2日間で、1月2日(火)からは、同じように開館します。
今年も色々な方に助けられ、
ここまでやってきました。
本当にありがとうございました。
その甲斐あって、来館者・おへんろさんも
コロナ禍前の状態に戻りつつあります。
来年は4年に一回の逆打ちの年、
さーてどのくらい、お遍路さんが増加するのか。
年末年始ののお遍路さんの対応ですが、
遍路大使任命書の発行は行います。
ただし、閉館なので、玄関前に
歩き・自転車お遍路さんの申込み用紙を置きます。
申込み用紙に記入し、左上の赤いポストに
入れてくれれば、後で郵送するという
やり方を取っています。
毎年、1~2人の方が申込み用紙に記入していきます。
今年も、慌しく過ぎ、充実していたと思います。
来年も同じように充実した年になるよう、
交流の場となるよう、
皆さんの御協力をお願いします。
来年もよろしくお願いします。
Posted by へんろ資料館館長 at
11:20
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2023年12月22日
新年に向けての準備!
昨日は朝から雪が降っていて、
塩江経由で大窪寺に行きました。
しかも、チェーンも持たず、ノーマルタイヤで。
※皆さん、真似はしないように。
大窪寺の雪は、昨日投稿したのですが、


辺り一面、3~5㎝は積もっていました。
寒かった。
先日、新年に向けての準備で、
丁石にシキビを供えました。
年に2~3回程度ですが、毎年行っています。
その丁石にも、シキビにも雪が積もって、
丁石のお地蔵さんも寒そうでした。


館長就任から、4年目、やっとへんろ資料館の
形が整いつつあります。
来年4月から体制も充実する予定です。
塩江経由で大窪寺に行きました。
しかも、チェーンも持たず、ノーマルタイヤで。
※皆さん、真似はしないように。
大窪寺の雪は、昨日投稿したのですが、
辺り一面、3~5㎝は積もっていました。
寒かった。
先日、新年に向けての準備で、
丁石にシキビを供えました。
年に2~3回程度ですが、毎年行っています。
その丁石にも、シキビにも雪が積もって、
丁石のお地蔵さんも寒そうでした。
館長就任から、4年目、やっとへんろ資料館の
形が整いつつあります。
来年4月から体制も充実する予定です。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:46
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2023年12月21日
2023年12月19日
別格第八番 十夜ヶ橋(とよがはし)
先日、愛媛県八幡浜市に行った時に
大洲市にある「十夜ヶ橋」にも行きました。

弘法大師が四国の各地を行脚していた時に
泊まる家もなく、一夜を土橋の下で野宿した。
夜の明けるのを待ちかねて、
一夜も十夜の長さに感じられたことから
「十夜ヶ橋」と名付けられ、
遍路が橋の上を通る時、「杖をつく音で、
弘法大師をおこしてはいけない」ため
杖をつかないという風習は
この話から起こったと云われています。
今は別格第八番札所となっています。
川を挟んだところには、永徳寺があり、
本堂は今改修中です。


大洲市にある「十夜ヶ橋」にも行きました。
弘法大師が四国の各地を行脚していた時に
泊まる家もなく、一夜を土橋の下で野宿した。
夜の明けるのを待ちかねて、
一夜も十夜の長さに感じられたことから
「十夜ヶ橋」と名付けられ、
遍路が橋の上を通る時、「杖をつく音で、
弘法大師をおこしてはいけない」ため
杖をつかないという風習は
この話から起こったと云われています。
今は別格第八番札所となっています。
川を挟んだところには、永徳寺があり、
本堂は今改修中です。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:51
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2023年12月17日
急に寒くなりました。!
今年も後わずか、12月も半ばになり、
急に寒くなりました。

紅葉も終わり、へんろ資料館周辺も
落ち葉でいっぱいです。
今日から年末にかけて、新年に向けての
掃除をしていきます。
周辺の草刈り、落ち葉の掃除、
窓ガラスの掃除、展示ケースの掃除 など
やることはたくさんあります。
「大窪寺道」では、丁石のしきびを
新しいものに変えます。

今日は、朝9:00~大窪寺道の案内です。
急に寒くなりました。
紅葉も終わり、へんろ資料館周辺も
落ち葉でいっぱいです。
今日から年末にかけて、新年に向けての
掃除をしていきます。
周辺の草刈り、落ち葉の掃除、
窓ガラスの掃除、展示ケースの掃除 など
やることはたくさんあります。
「大窪寺道」では、丁石のしきびを
新しいものに変えます。
今日は、朝9:00~大窪寺道の案内です。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:21
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2023年12月16日
大黒山吉蔵寺!
明治時代に四国八十八ヶ所霊場の
第37番札所が愛媛県八幡浜市にありました。

明治4年(1871)に岩本寺が廃寺になり、
明治22年(2889)に再興される間の
明治18年(1885)に吉蔵寺は創建されます。
この寺が第37番札所として名のっていた大黒山吉蔵寺で、
『娘巡礼記』の高群逸枝(たかむろいつえ)は、
その中で、
「・・・胸轟かすひまもなく佐田岬から八幡浜へ、
上陸は午前十一時でもあったろう。
早速この地の大黒山吉蔵寺を訪ねる。
名刺を出すと、痛み入るほど丁寧に遇なして下さる。
ちょうど金田禅師は御留守であったが、
不思議な事にはこの寺の皆さますべて
熊本県人というので何となく懐かしく思われた。
この寺は四国三十七番の札所である。
でもこの事は世人に多く知られてない。
則ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・
いかにもこれが大師の旧蹟には違いない。
でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。
そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、
その由来についてお話を承わると幸である。」とあり、
大正七年(1918)までは、吉蔵寺が第37番札所を
名のっていたことが解る。
境内には、本堂、大師堂、宿泊できる建物などがあり、


九州から八幡浜の港に上陸し、
港から近いこともあり、

上陸したお遍路さんはかなり参拝したようである。
第37番札所が愛媛県八幡浜市にありました。
明治4年(1871)に岩本寺が廃寺になり、
明治22年(2889)に再興される間の
明治18年(1885)に吉蔵寺は創建されます。
この寺が第37番札所として名のっていた大黒山吉蔵寺で、
『娘巡礼記』の高群逸枝(たかむろいつえ)は、
その中で、
「・・・胸轟かすひまもなく佐田岬から八幡浜へ、
上陸は午前十一時でもあったろう。
早速この地の大黒山吉蔵寺を訪ねる。
名刺を出すと、痛み入るほど丁寧に遇なして下さる。
ちょうど金田禅師は御留守であったが、
不思議な事にはこの寺の皆さますべて
熊本県人というので何となく懐かしく思われた。
この寺は四国三十七番の札所である。
でもこの事は世人に多く知られてない。
則ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・
いかにもこれが大師の旧蹟には違いない。
でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。
そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、
その由来についてお話を承わると幸である。」とあり、
大正七年(1918)までは、吉蔵寺が第37番札所を
名のっていたことが解る。
境内には、本堂、大師堂、宿泊できる建物などがあり、
九州から八幡浜の港に上陸し、
港から近いこともあり、
上陸したお遍路さんはかなり参拝したようである。
Posted by へんろ資料館館長 at
11:29
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2023年12月15日
久しぶりに屋島に登りました。⑨
佐藤次信の碑を通り越し、
安徳天皇社の前を通り、

帰ろうとしていたら、
屋島少年自然の家の学習で
歩いている中学生に出会い、
みんなが挨拶してくれました。

朝9時から歩きだし、昼ご飯も食べずに
屋島を散策し、午後3時に戻りました。
久しぶりに登ったら、やっぱり疲れましたが、
ゆっくり屋島を見れました。

今回は南嶺だけだったですが、
北嶺にも見所はたくさんあります。
次回は北嶺に登ります。
安徳天皇社の前を通り、
帰ろうとしていたら、
屋島少年自然の家の学習で
歩いている中学生に出会い、
みんなが挨拶してくれました。
朝9時から歩きだし、昼ご飯も食べずに
屋島を散策し、午後3時に戻りました。
久しぶりに登ったら、やっぱり疲れましたが、
ゆっくり屋島を見れました。
今回は南嶺だけだったですが、
北嶺にも見所はたくさんあります。
次回は北嶺に登ります。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:36
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2023年12月14日
久しぶりに屋島に登りました。⑧
屋島寺を参拝し、これから屋島を下ります。
屋島寺の下りは、廃屋のある場所からの
下りです。

廃屋はかなり窓ガラスが割られていて、
落書きもひどくなっていました。
ここからの下りはあまり整備されておらず、
簡単な階段があり、雨が降ると滑りそうで、
手すり代わりのロープがありました。


時々、お遍路さんからここで滑ったということを
聞きます。
急な坂を下り、屋島への道を横切り、
さらに急な坂を下ります。
やっと開けた所に大楽寺があります。
大楽寺周辺には、廻国塔や遍路墓が多数あり、
墓地となっています。

そしてやっと佐藤次信の石塔にたどり着きました。

屋島寺の下りは、廃屋のある場所からの
下りです。
廃屋はかなり窓ガラスが割られていて、
落書きもひどくなっていました。
ここからの下りはあまり整備されておらず、
簡単な階段があり、雨が降ると滑りそうで、
手すり代わりのロープがありました。
時々、お遍路さんからここで滑ったということを
聞きます。
急な坂を下り、屋島への道を横切り、
さらに急な坂を下ります。
やっと開けた所に大楽寺があります。
大楽寺周辺には、廻国塔や遍路墓が多数あり、
墓地となっています。
そしてやっと佐藤次信の石塔にたどり着きました。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:59
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2023年12月13日
愛媛県八幡浜市の大黒山吉蔵寺に行ってきました。!①
少し、記事投稿をさぼっていました。
これからは出来るだけ毎日書きたいと思います。
先日、愛媛県八幡浜市にある大黒山吉蔵寺に
行ってきました。

江戸時代から明治時代への時代の流れは、
明治の神仏分離令が出ることにより、
四国遍路、特に札所にとって大変な出来事だったと
思います。
それまで神社が札所で別当寺として傍にあった形が
神仏分離令によって、神と仏が分離され、
その時にかなりのお寺が廃寺になりました。
その一つである第37番岩本寺、
江戸時代までの札所は仁井田五社(現高岡神社)で
別当寺が岩本寺でした。
江戸時代の納経帳を見ると最初は仁井田五社でも
納経していたようですが、
その後「別当岩本寺」として納経していることが解ります。
明治4年に岩本寺が廃寺に成り、明治22年に復興しますが、
その間、八幡浜市の大黒山吉蔵寺が本尊などを
岩本寺から買い求め、第37番札所を名乗っていた時期が
あります。
現在の吉蔵寺のご住職さんはこの経緯について
何もご存じないようで話は聞けませんでした。
しかし、大師堂に懸る額にその証拠がありました。



額には「四國第三十七番霊場/元仁井田五社安置/
本尊阿弥陀如来/薬師如来/大日如来/
観世音菩薩/地蔵菩薩」と書かれていました。
これからは出来るだけ毎日書きたいと思います。
先日、愛媛県八幡浜市にある大黒山吉蔵寺に
行ってきました。
江戸時代から明治時代への時代の流れは、
明治の神仏分離令が出ることにより、
四国遍路、特に札所にとって大変な出来事だったと
思います。
それまで神社が札所で別当寺として傍にあった形が
神仏分離令によって、神と仏が分離され、
その時にかなりのお寺が廃寺になりました。
その一つである第37番岩本寺、
江戸時代までの札所は仁井田五社(現高岡神社)で
別当寺が岩本寺でした。
江戸時代の納経帳を見ると最初は仁井田五社でも
納経していたようですが、
その後「別当岩本寺」として納経していることが解ります。
明治4年に岩本寺が廃寺に成り、明治22年に復興しますが、
その間、八幡浜市の大黒山吉蔵寺が本尊などを
岩本寺から買い求め、第37番札所を名乗っていた時期が
あります。
現在の吉蔵寺のご住職さんはこの経緯について
何もご存じないようで話は聞けませんでした。
しかし、大師堂に懸る額にその証拠がありました。
額には「四國第三十七番霊場/元仁井田五社安置/
本尊阿弥陀如来/薬師如来/大日如来/
観世音菩薩/地蔵菩薩」と書かれていました。
Posted by へんろ資料館館長 at
07:15
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