2023年12月16日
大黒山吉蔵寺!
明治時代に四国八十八ヶ所霊場の
第37番札所が愛媛県八幡浜市にありました。

明治4年(1871)に岩本寺が廃寺になり、
明治22年(2889)に再興される間の
明治18年(1885)に吉蔵寺は創建されます。
この寺が第37番札所として名のっていた大黒山吉蔵寺で、
『娘巡礼記』の高群逸枝(たかむろいつえ)は、
その中で、
「・・・胸轟かすひまもなく佐田岬から八幡浜へ、
上陸は午前十一時でもあったろう。
早速この地の大黒山吉蔵寺を訪ねる。
名刺を出すと、痛み入るほど丁寧に遇なして下さる。
ちょうど金田禅師は御留守であったが、
不思議な事にはこの寺の皆さますべて
熊本県人というので何となく懐かしく思われた。
この寺は四国三十七番の札所である。
でもこの事は世人に多く知られてない。
則ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・
いかにもこれが大師の旧蹟には違いない。
でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。
そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、
その由来についてお話を承わると幸である。」とあり、
大正七年(1918)までは、吉蔵寺が第37番札所を
名のっていたことが解る。
境内には、本堂、大師堂、宿泊できる建物などがあり、


九州から八幡浜の港に上陸し、
港から近いこともあり、

上陸したお遍路さんはかなり参拝したようである。
第37番札所が愛媛県八幡浜市にありました。
明治4年(1871)に岩本寺が廃寺になり、
明治22年(2889)に再興される間の
明治18年(1885)に吉蔵寺は創建されます。
この寺が第37番札所として名のっていた大黒山吉蔵寺で、
『娘巡礼記』の高群逸枝(たかむろいつえ)は、
その中で、
「・・・胸轟かすひまもなく佐田岬から八幡浜へ、
上陸は午前十一時でもあったろう。
早速この地の大黒山吉蔵寺を訪ねる。
名刺を出すと、痛み入るほど丁寧に遇なして下さる。
ちょうど金田禅師は御留守であったが、
不思議な事にはこの寺の皆さますべて
熊本県人というので何となく懐かしく思われた。
この寺は四国三十七番の札所である。
でもこの事は世人に多く知られてない。
則ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・
いかにもこれが大師の旧蹟には違いない。
でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。
そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、
その由来についてお話を承わると幸である。」とあり、
大正七年(1918)までは、吉蔵寺が第37番札所を
名のっていたことが解る。
境内には、本堂、大師堂、宿泊できる建物などがあり、
九州から八幡浜の港に上陸し、
港から近いこともあり、
上陸したお遍路さんはかなり参拝したようである。
Posted by へんろ資料館館長 at
11:29
│Comments(0)