2023年08月10日
駅路寺としての清色寺!
徳島県三好市佐野には、
伊予と阿波の国境があることから
番所が置かれていました。
この番所でお遍路さんを含む旅人の
通行手形(身分証明書及び通行願)を
改めていました。
また、この佐野には、清色寺という
お寺があります。


清色寺は江戸時代「駅路寺」に定められていました。
「駅路寺」とは、慶長3年(1598)に
藩主蜂須賀家政が定めた制度で、
県内の8ヶ寺を指定し、
旅人の宿泊の便を図っていました。
表向きは、旅人や遍路を救うためでしたが、
本当の目的は盗賊人等の取り締まりが
目的だったと言われています。
徳島藩にとって、江戸時代、この地域は
重要なところだったことがわかります。
久しぶりに歩きましたが、
古い建物やこの地域の歴史も
体感できる遍路道(伊予街道)です。
伊予と阿波の国境があることから
番所が置かれていました。
この番所でお遍路さんを含む旅人の
通行手形(身分証明書及び通行願)を
改めていました。
また、この佐野には、清色寺という
お寺があります。
清色寺は江戸時代「駅路寺」に定められていました。
「駅路寺」とは、慶長3年(1598)に
藩主蜂須賀家政が定めた制度で、
県内の8ヶ寺を指定し、
旅人の宿泊の便を図っていました。
表向きは、旅人や遍路を救うためでしたが、
本当の目的は盗賊人等の取り締まりが
目的だったと言われています。
徳島藩にとって、江戸時代、この地域は
重要なところだったことがわかります。
久しぶりに歩きましたが、
古い建物やこの地域の歴史も
体感できる遍路道(伊予街道)です。
Posted by へんろ資料館館長 at
08:38
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