2023年06月26日

忠左衛門の墓2つ⁉

今の塚原地区、上名地区、大石地区の境、
遍路道際に高地蔵があり、様々な石造物が
造立されているところがある。

ここでは、毎年3月13日に
「流水潅頂(りゅうすいかんじょう)法要」が
行われている。

この一角に、藝刕(げいしゅう 現広島県)の
「忠左衛門」の墓碑がある。



墓碑には「四国霊場百三十六度巡拝、
藝刕山形郡中原村忠左衛門墓、文久二戌八月
二日、発起 弁蔵、伊三良」と刻まれ、
文久二年(1862)に地元の弁蔵と伊三良が
四国遍路を136度巡拝した広島県の
忠左衛門のため造立したことが分かる。

この忠左衛門の墓碑は、実はもう一つある。
それは大石地区のある前山の譲波から長尾谷に
抜ける道沿い(川沿い)にあり、
それには「文久二歳(年)、藝州山形郡、
光順信士、中原邑(村)、忠左衛門、
戌八月二日、百三拾四遍」とある。



造立時期は同じであるが、戒名の有無、巡拝回数に
違いがあり、なぜ同一時期に同一人物の
墓碑が二つあるのか、巡拝回数の差は何か、
なぜこの場所なのか、

なぞが多い。


  


Posted by へんろ資料館館長 at 08:52Comments(0)