2023年03月22日

四国遍路の歴史④(江戸時代①)

へんろ資料館の北側にある「前山ダム」周辺は、
桜(特にソメイヨシノ)の名所として知られていますが、
へんろ資料館の敷地には、「緋寒桜」もあります。
毎年、10月~11月頃に花を咲かせ、
今も再び花を咲かせています。
年に2度咲く桜です。



さて、今回は四国遍路の歴史④として、
四国遍路が成立する江戸時代(今から約400年前)です。

四国遍路の歴史が弘法大師空海まで遡り、
平安時代以降「辺地修行」となり、「辺路」に変わっていく。
そして、江戸時代になって四国遍路が成立していく。

その一つとして、
1687年(貞享四年)に真念という聖(ひじり)が
『四国辺路道指南』を刊行します。
縦約16㎝、横約11㎝の小さい本で、
携帯するのに適しています。

この本では、初めて
第1番が徳島県鳴門市にある霊山寺、
第88番が香川県さぬき市にある大窪寺と札所に
寺番がふられ、それぞれの札所(向き、本尊、詠歌など)の説明、
札所間の村や川の説明が記載されており、
今でいう、ガイドブックです。

また、真念は迷いそうな分岐点には、どの方向(右・左)に
行けば次の札所に行くかを示した
石製の道標(どうひょう、みちしるべ)の造立、
宿泊に困った時に泊まる遍路屋の建立しており、
「四国辺路の父」と呼ばれています。

この『四国辺路道指南』の刊行が、
これまで僧侶の修行だったものを、
庶民でも巡礼することのできる「四国遍路」へと
広げていったと言われています。

つづく。

  


Posted by へんろ資料館館長 at 08:01Comments(0)