2023年03月17日
四国遍路の歴史②(平安時代~鎌倉時代)
四国遍路の歴史の2回目です。
前回、四国遍路の歴史は弘法大師空海まで遡り、
空海が修行した場所、〈21番札所太龍寺〉が
霊場になっていったとお話ししましたが、
今回は空海入定後についてお話しします。

空海の弟子や空海を慕う人が、空海が修行した場所を
廻る修行を行い、それが徐々に四国の「辺地(へち)」を廻る
修行になっていったと言われています。
平安時代終わりの『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、
「四国ノ辺地ト伝ハ、伊予、讃岐、阿波、土佐ノ海辺ノ廻也」とあり、
四国の縁辺、端である海辺を廻る修行が
あったことがわかります。

空海が四国各地で行った修行が、
徐々に四国の辺地を巡る修行に
変わっていったと考えられています。
前回、四国遍路の歴史は弘法大師空海まで遡り、
空海が修行した場所、〈21番札所太龍寺〉が
霊場になっていったとお話ししましたが、
今回は空海入定後についてお話しします。
空海の弟子や空海を慕う人が、空海が修行した場所を
廻る修行を行い、それが徐々に四国の「辺地(へち)」を廻る
修行になっていったと言われています。
平安時代終わりの『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、
「四国ノ辺地ト伝ハ、伊予、讃岐、阿波、土佐ノ海辺ノ廻也」とあり、
四国の縁辺、端である海辺を廻る修行が
あったことがわかります。
空海が四国各地で行った修行が、
徐々に四国の辺地を巡る修行に
変わっていったと考えられています。
Posted by へんろ資料館館長 at
08:01
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