2023年07月22日
88番大窪寺から東かがわ市白鳥神社へ!
江戸時代、寛政12年(1800)の
『四国遍礼名所図会』には、
「長野村 此所より右切幡、左白鳥道」とあり、
ここで10番切幡寺へのルートと
白鳥神社から大坂峠を越え、
1番霊山寺あるいは3番金泉寺へのルートの
分かれ道があることが表記されています。
『四国遍礼名所図会』では、
「白鳥町、本社白鳥大神宮末社、社家、
塩屋川、引田町、此所ニて一宿」と
白鳥神社を参拝し、


引田町で一宿したことがわかります。
納経帳を見ても、
白鳥神社の納経が確認できることから、
かなりのお遍路さんが白鳥神社経由の
ルートを取っていたことがわかります。
そして、「引田町 浜辺をとふる、
通念島 壱里斗沖に二ツ並ぶしまをいふ也」
とあり、引田の町から浜辺を歩きながら
沖合の通念島を見ながら、
大坂峠に向かったことがわかります。

このように江戸時代の日記(紀行文)をみると
当時のお遍路さんが
どのルートを通り、何を見たかがわかります。
『四国遍礼名所図会』には、
「長野村 此所より右切幡、左白鳥道」とあり、
ここで10番切幡寺へのルートと
白鳥神社から大坂峠を越え、
1番霊山寺あるいは3番金泉寺へのルートの
分かれ道があることが表記されています。
『四国遍礼名所図会』では、
「白鳥町、本社白鳥大神宮末社、社家、
塩屋川、引田町、此所ニて一宿」と
白鳥神社を参拝し、
引田町で一宿したことがわかります。
納経帳を見ても、
白鳥神社の納経が確認できることから、
かなりのお遍路さんが白鳥神社経由の
ルートを取っていたことがわかります。
そして、「引田町 浜辺をとふる、
通念島 壱里斗沖に二ツ並ぶしまをいふ也」
とあり、引田の町から浜辺を歩きながら
沖合の通念島を見ながら、
大坂峠に向かったことがわかります。
このように江戸時代の日記(紀行文)をみると
当時のお遍路さんが
どのルートを通り、何を見たかがわかります。
Posted by へんろ資料館館長 at 07:09│Comments(0)