2023年03月08日
丸亀から上陸した遍路
今日、所用で丸亀市に行きました。
久しぶりに丸亀城の石垣や天守を見て、
平成30年に石垣が崩落した状況を思い出しました。
当時、現地で崩落の状況を見ていたので、
より鮮明に思い出しました。
今は修復作業を行っています。
少しでも早く、元通りになる事を願います。
さて、タイトルにあるように、江戸時代の丸亀は讃岐で一番の
港で、金毘羅参りの参拝者で賑わっていました。
四国外、関西方面、東方面からの遍路(旅人)は丸亀の港に
上陸したようで、西方面、備中(岡山)、
備後(広島県福山あたり)、安芸(広島)あたりの遍路(旅人)は
多度津の港で上陸していたと思われ、どうも
すみわけがあったようです。
丸亀の港はかなり拡幅、整備されていたようで、
上陸すると直ぐに丸亀城や城下町、城下町中を
通る遍路道に接続していました。

上陸した遍路は、西平山町の世話人に往来手形(今のパスポート)を
見せ、身元を確認されたのちに「船揚切手(ふなあがりきって)」という
書付をもらい、順打ちは78番郷照寺へ、逆打ちは77番道隆寺へ
向かって打ち始めます。
四国外の遍路は、四国各地の港に上陸する際には、
必ず同じように船揚切手をもらっていたようです。
久しぶりに丸亀城の石垣や天守を見て、
平成30年に石垣が崩落した状況を思い出しました。
当時、現地で崩落の状況を見ていたので、
より鮮明に思い出しました。
今は修復作業を行っています。
少しでも早く、元通りになる事を願います。
さて、タイトルにあるように、江戸時代の丸亀は讃岐で一番の
港で、金毘羅参りの参拝者で賑わっていました。
四国外、関西方面、東方面からの遍路(旅人)は丸亀の港に
上陸したようで、西方面、備中(岡山)、
備後(広島県福山あたり)、安芸(広島)あたりの遍路(旅人)は
多度津の港で上陸していたと思われ、どうも
すみわけがあったようです。
丸亀の港はかなり拡幅、整備されていたようで、
上陸すると直ぐに丸亀城や城下町、城下町中を
通る遍路道に接続していました。
上陸した遍路は、西平山町の世話人に往来手形(今のパスポート)を
見せ、身元を確認されたのちに「船揚切手(ふなあがりきって)」という
書付をもらい、順打ちは78番郷照寺へ、逆打ちは77番道隆寺へ
向かって打ち始めます。
四国外の遍路は、四国各地の港に上陸する際には、
必ず同じように船揚切手をもらっていたようです。
Posted by へんろ資料館館長 at 15:43│Comments(0)