2023年04月13日

江戸時代、神社が札所(第68番神恵院)

現在、観音寺市の瀬戸内海に面した
琴弾山の中腹に第68番札所神恵院と
第69番札所観音寺が並んであります。

江戸時代、神社が札所(第68番神恵院)
現在の第68番札所神恵院

江戸時代の第68番札所は、琴弾山山頂にある
琴弾八幡宮で、その神宮寺※が観音寺でした。
※神仏習合思想に基づき、神社に付属して
  建てられた仏教寺院や仏堂

江戸時代、神社が札所(第68番神恵院)
※寛政十二年(1800)の絵図

琴弾八幡宮は、大宝三年(703)に日証という
僧によって観音寺と共に建てられ、
その後、弘法大師空海が大同二年(807)に
訪れ、阿弥陀如来を描いて琴弾八幡宮の
本尊にしたと云われています。

観音寺の名称は「七宝山神恵院観音寺」で
明治の神仏分離政策で、神社から
神宮寺は分離され、札所を
観音寺が引き継ぐこととなり、
第68番七宝山神恵院として、
今にあります。







Posted by へんろ資料館館長 at 09:08│Comments(0)
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